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経済人のコラム 時局寸評

TOP 経済人のコラム(時局寸評) ポスト富士の観光資源づくり

ポスト富士の観光資源づくり

 私が箱根・富士屋ホテルに入社した1970年、ジャンボジェット機が就航した。空の大量輸送がもたらした航空運賃の格安化は、高度経済成長に伴い日本人の海外旅行を一気に大衆化する契機となったが、同時に欧米の富裕層にとっても、東洋の神秘な国、日本はいちやく魅力的な観光のターゲットともなった。

 大阪で開催されたアジア初の万博もあって、ホテルは外国人旅行客でにぎわいをみせていた。何しろ電車の初乗りが30円、はがきが5円という当時の物価に対して、1ドルは360円で交換されたのだから、外国人にとってはまさに天国だったろう。1ドルでコーラ1本も買えない円高の現在とは隔世の感がある。

日本人にはなじみのなかったワインもよく売れたし、肉の焼き方やパスタのゆで時間を指定されるなど、おいしく食べるための貪欲さに驚きもしたが、初めて触れた洋風のマナーと習慣や文化の違うお客さまとの毎日が、新鮮で勉強になった。

 さて、富士屋ホテルの社訓は「至誠」である。新人の私はその教えを守り、真心をこめて一生懸命に働いたが、サービスの良しあしを決める条件は、お客さまの側にも大きな役割があることを発見した。

爽やかなあいさつやチャーミングな笑顔、サービスの都度必ず言われる「サンキュウ」の言葉、そんな気遣いをしてくれるお客さまが、私のサービスへの意欲を高揚させてくれていたのだ。お客さまの気持ちになること、信頼され、良きパートナーになってもらうこと、そして喜びや感動を共有できること-それが今でも私のサービスの基本となっている。

 ところで、欧米からのリッチなツアーは、変動相場制が導入され、特にプラザ合意後にはすっかり影をひそめた。そして、1975年以降になると、台湾、香港、韓国からのツアーがやってきた。今は中国からのツアーにとって代わられたが、主たるルートは東京・箱根・富士五湖・京都・大阪だった。

とにかく一度は日本に行ってみたいという観光客が相手だから、行程はかなり駆け足だが、観光の目玉、富士山がある富士五湖は欠かせないポイントだった。しかし、アジアの先進国が個人旅行にシフトしたように、いずれ中国も今のツアーと並行して個人旅行が増えてくる。

そうなると山梨は富士山ばかりに頼れない。訪れてみたい、そして滞在したいという必然を用意する必要があるだろう。

 大変とっぴなプランかもしれないが、良質なワインの醸造やフルーツを主とする農業の技術習得を目的にやってくる研修者や留学生を受け入れることを提案したい。
大学とタイアップしてカリキュラムに外部実習制度を導入、収入も得られ単位の習得にもつながることを売り物にするのである。

この国際交流を観光資源とするのだ。

研修者の多くは貴重な労働力としても期待されるし、留学生はやがて日本との平和の懸け橋を築くだろう。東アジアに開かれ、そして住みやすい街として、山梨は日本一を実現するのだ。
富士山と豊かな温泉を背景に、同胞が心豊かに暮らす街への関心は高まり、訪問への意欲をかき立ててくれるはずだ。

 実現には特区の認可も必要になったり、東日本大震災の影響をどう見積もるか課題もある。だが、文化や習慣の違いを超えた活発な交流を目指し、私たち自身がもっともっと、おもてなしの心を磨くことで、山梨の観光業界の明日を切り開いていきたい。